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自分の体験は実体験メインか擬似体験メインか



実はこことは別に書き物をしています。
https://ameblo.jp/modoru-natsuyoga/

ここには【漫画との共鳴ごと】というタイトルで書き綴っているんです。


そっちの冒頭にも書いてるんですけど、
わたしは漫画を漫画の世界だと思ってなくて



それは、いくつかの理由があって
そのひとつは

"何かをみたときに「境界線」を持ち出す癖をやめてみよう"ってことも含んでいます。



エンターテインメントが日常の当たり前になった現代の我らの体験では、
〔 擬似体験   〕の割合が
〔  実体験 〕の割合を超えてしまってはいませんか。



本来、擬似体験ってのは、実体験を高めるためにあるのではないか、と感じます。


それと反対方向なのが、
例えば寂しさを埋め合わせるために恋愛ドラマをみてきゅんきゅんしてみる。とか、
仕事で不満を募らせて、ヒーロー番組をみて世の中の悪を倒したつもりになる。とか、


やったつもりになって、
満足/一時凌ぎ/気を紛らわせる………でおわると、


実生活たのしくないまま、改善することを諦めたまま、現実逃避とよぶもののループになっちゃう。というより現実世界は悪化してゆく(厳しい言葉ですが、事実です)



擬似体験を続けるなら、そこで感覚を掴んで、現実そのものに気づき、イメトレし、目の前の物事にも変化を起こすことに向かっていったら、日常の不満ごとは根本から変わってゆくんじゃないかって、思うんです。


で。
こうした感覚は、「境界線」を溶かしてゆく。

これは夢、これは現実、こんなのあるわけない、これくらいならありえる、現実逃避、これが現実、、
分けて考える癖から抜け出すと、

凄いことが起こるんじゃないかなって
わたしは予想しています。




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ここで終わると何がやねんってツッコミでる場合
ここからの言葉は慎重に、深呼吸して、進んでね。




わたし は わたし
あなた は あなた

わたし は あなた
あなた は わたし


これらが同時に。

この言葉はよく聞く言葉でもありますが
かなり含みの大きな言葉だと感じます。

わたしはわたしでありながら
あなたはあなたでありながら

その間には境界線がなくなってゆく

それらの間には切り離したり遮断するものはない



それは、声色や態度や空気感となって理解が進む

頭でわかろうとすると遠のき
体験でわかりたいと望めば近づく



現実の中のもっとも現実的なもの。
もっとも、偽りの深いもの。
それは自分自身。