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お金の奴隷..解放宣言


すこし前に、映画えんとつ町のプペル を観に行ったと書きました。記事には 組織 と 人 という視点で書き記しましたが、もうひとつとても興味深いお話があったんです。今回はそれを。(映画のネタバレを含みます)


お金の奴隷 解放宣言


映画では、なぜこの町(えんとつ町)が雲に覆われたのか…理由として、過去に起こった「お金」にまつわる事柄があります。
物語の作者 西野さんのブログの中に内容を現した文章があるのでお借りしますね。

画像、読めましたか?引用したのはこの記事です。前後の文章も是非読んでみて下さいね。
https://ameblo.jp/nishino-akihiro/entry-12392720861.html


こんな感じでね、お金のことが描かれるんですけど、私自身、今生のテーマだなって感じてるんです。「お金」


ここから私個人の話に移ります。


お金がないと生きていけない


って、多くの人が思っていますが
これって事実でしょうか。

いや、事実、私も今日一日お金を使って生きていますし、お金と物を交換しています。住む場所すら。

だから、事実なんですけど
問いたいのは
これしか選択肢がなくなったのはなんでなんでしょう。

集められたお金はいったいどこへ行くんでしょう。
この世にあるお金は、本当に循環しているんでしょうか。


取引が、個人と個人ならば、
互いの間を行き来します。

個人と個人ではなくなりはじめたとき、例えば
個人と組織になったとき、お金の行き先は分からなくなりはじめたのではないでしょうか。

私の思考と文字表現では現時点で限界があるのですが
お金を使った交換システムが、バランスがとれないシステムになって以降、より多くのお金を集めるために品物が開発され、どんどん使うように促され、お金を得られるものだけが仕事と呼ばれ、貧しさや争いが生まれたのではないのかな…

それは、この映画にも現されているように。


しかし私の思考では
バランスがいいシステムを生み出すには至らないのです……

が、やってみたいことはあります。

単位を小さくすること。


世界をひとつにしたような単位ではなく
小さな地域にもどす。


顔を知る人同士が、付き合える単位
助け合いが自然と起こる単位

例えば、病で働けなくなって困る人がいたら
余裕のある人が助けてあげられるような

理想論だと言われるかもしれませんが
蓄えっていうのは、そういう時のためにするんじゃないかな


逆の例えでいうと
今あるような、税金を公平に使うっていうのは
本当に必要な時、必要な人のところには届かないから


血の繋がりを越えて
みんなが家族と思える小さな単位での循環にもどす


そのためには人の心や意識が
かなりかなーり、クリアリング(お掃除)されなければなりません。


ちょっとスピリチュアルな話を挟みますが
苦手意識を持たず読んで欲しい

今は次元上昇中だと言われています
何千年に一度の変化の真っ只中だ
三次元から五次元へ


惑星レベルにおいてここまでの数千年は確かにきつい循環の中にいて、地球もこんな状況だけど
切り替わりがすでに起こってて、だからこその激震があって、今までのやり方が通用しなくなりはじめてる。


私の描く世界は(お金にまつわることも)
私の代で成せるものではないと思います

そっちに向かってのはじまりの時代を
今の私(たち)は生きていて
輪廻転生があるなら
次この世界にやってくるときに
どうなっているのか続きを見る…といったようなそんな大きなレベル。



話を戻します。

今、事実として起きている時代の問題
人々の意識が変わってゆくことでなくなっていくと思います。

なので、やるべきことはひとつ。

個々が、自らの意識の中にあるぐちゃぐちゃをお掃除すること。



他人のことではなく
自分のこと。



ひたすらそれ。


なのでね、色々書きましたが
やることはシンプルです。


シンプルかつ難題ですがね。


やりましょう(^^)v