人は…という表現はとても慎重に選ぶ必要がありますが、敢えてタイトルはハッキリ書きました。
「組織」の一部ではないのです。
◇
「 映画 えんとつ町のプペル 」観に行きました。
(絵本を読んだことがある方もいるかと思いますが、絵本は映画の一部であり、絵本を映画化したわけではないそうです。映画の大きなストーリーがもともとあって、宣伝的に一部を絵本にしたそう。)
これね、観て
すごく心が痛い人もいたり
見たくないって思う人もいるかもって思います。
観て、ワクワクする人って
今は一部なのかも知れないけど、多くの人の心の奥に働きかける " 振動 " を持っています。
◇(以下、ネタバレも含みます)
映画では、後を追うように 理由 が展開されてゆきます。悪巧みも明かされます。真実に気づいても口にできない人も描かれます。
特徴的なのは、異端審問官ってのがいて
体制に異論を唱えたり、組織的に厄介な夢を語ったりする人は、捕まえられたり、事故に見せかけて殺されていました。
だから、多くの人は目立たぬよう、夢を語らないよう静かにして生きています。
(…これって、、今起きてるコロナで2020年に実際に起きたことやこれから政治がやろうとしてることに似てるんじゃないかなぁ)
映画の中にもありましたが
組織として不都合な事態があると
「正直に言ったほうがいいのでは」と話す人と
「いや、再び恐怖の話をすればいい」と、真実を隠すために「恐怖心」を利用すると語るシーンがあります。
(記憶に基づいて書いてるので、セリフは正確ではありません)
映画や物語はつくり話だといわれますが、あまりにも現実味があってハッとした人もいるのではないでしょうか。
一旦映画のことを離れて、
とても大切なことをお伝えしたい。
本当に、まわりの人の健全な生活を願う者は
適切な言葉を丁寧に選択し、人々が慌てることないよう、冷静さを欠くことのないよう話します。決して「怖さ」を植え付けることはしません。恐がらせて相手の選択肢を奪うことはしないということです。
そこで思い出すこと... ニュース(テレビもネットも)では
○○の恐ろしさ、苦しむ恐怖、を前面に出したものが多すぎます。効果音もです。不安を煽るような表現を多用するのはよくない。
私は拙いながらもこうして書くことをしますし、そこに写真を合わせたりします。写真を選ぶ時、意図を持って選びます。写真や音楽はイメージを操作するから、何を合わせるかってのは慎重になります。
今の事態を本当にわかった人なら
万が一 感染したときに、落ち着いて対応ができるように人々の心身を整えるサポートをするでしょう。
過剰に不安や恐怖を植え付けられた人は
感染時にあわてて判断を誤る危険があるからです
◇
覚悟して極論を書きます。
人は、生まれて、死にゆく生き物です。
なんらかの形でやってくる死から逃れることはできません。そして死という現象すら、生きることです。(以前、記事にしました )
生きてる間に、
何を聞き、何を見て、何を表現しよう
人の想像力と生み出す力は無限。
無限に備わった力に、自ら蓋をしては勿体ない
ましてや他人が蓋をすることなどあってはならない
そう思います。
◇最後に
映画の中で働きアリの話がふわっとでてきますが
それは私の中にも何年か前から存在するこの世の事実であり
( 8:2 働くアリ : 働かないアリ …それは生まれながらの怠け者だから働かないのではなく、働くアリばかりを100匹集めても、その中の2割は働かなくなるという結果となる。働かないことがだめというわけではなくてね。)
いつだって、「全員」が同じことをやるってのはおそらく起こり得ないのではないかな
同じことをやらないってことに意味がある
2割は意図を持ってやらないんだ
それでも
異端を排除することにエネルギーを注ぐのか
2割の存在の意味を感じてみるのか
この時代に問いかけています。