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私の存在価値は…ある?


私って…   いる意味ある?


そんなことを思ったことは、まぁ、
誰にでもあるんじゃないだろうか。


自分が、自分に、自信を持てない。
自分より、まわりのひとの方が存在感がある。
急に自分が小さくみえる。


これは、この心理状況はどのように生まれ
どうやって克服してゆくのでしょう。



(私は心理カウンセラーでもなんでもないので適当に読んでください。)



--- 自己の評価を、他人が決める。


そんな風潮(テストや受験や社会評価 等)の中で
育ってきた私たちは、ひたすらに
自分の価値を他人に明け渡してしまったのですね。人によっては親も、テストの点数や合否にこだわり、我が子の他者評価をいかによくするかを説いているかもしれません。


人の存在、その人の愛おしさは、この世界で発揮されているでしょうか。


現在の一般的な教育と呼ばれる過程において…
すごく、狭い部門で(ごく一面的な)しかみれていないかもしれません。

私は学校教育を否定するつもりはありません。
そこには、意味があると思うから。


注意しなければならないのは
学校教育は、すべて ではないということ。



人が、経験を広げていく中でのごく一部であるということ。


親がそれを知っておく必要がありますよね。


価値観のすべてを、学校の現場に委ねてはいけません。学校にすべての責任を持たせてはいけません。
(先生を否定したり、責任を負わせるのはあってはならないこと)


人は多様な生き方をします。


誰かの教えることが、すべての人に共通して意味を持つかはわかりません。

意味を感じる人、興味のない人、全く違った考えの人。自分と相手が違う。多様さを知る。違う行動選択を尊重すること。教えとは、それを知るきっかけとなるもの。


相手の選択を重んじることは、
自分を大切に思えること。




いま、世の中で、そのことが改めて起こっているように感じています。



正義
差別


見えぬストレスを溜め込んだ体と心が
それらを過剰に湧き立たせる。


私も気をつけます。



今日はそんなお話でした ✴︎
読んでくださってありがとう!